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執筆者の写真村上晴彦

シアター風姿花伝


 いろんなこと考えた、コロナがなければ本番やってたはずの週末です。考えながらも、シアター風姿花伝に、ENGISYA THEATER COMPANYさんの『PARADAISE LOST』観に行ってきました。翌週予約していた舞台の公演中止のお知らせが舞い込んできた。今頃はけっこうなネタになっているけど、新宿シアターモリエールでの感染が発覚して、「劇場クラスター」「舞台クラスター」なんて言葉がニュースで流れたのも土曜日でした。で、悩みはしたんですけどね、せっかくだから行くことにしたんです。

 残念なことではありますけど、起きてしまったことは気の毒だけども仕方がない、と思うし、舞台をやる人間としてはそういうこともあるのかと受け止めるしかないのだろう。新型コロナウィルスに関して言えば、まだまだ不透明なことが多いのも事実だし、どんなに対策に気を使っていてもかかる時はかかるし、こんなもんでしょ、くらいでやっていてもかからない時はかからない、と思う。ただ、後に続く人たちへの配慮というか、もしもこうしてたら避けられたかも知れない、ということが何かあったとしたら、そこは明らかにしていって欲しいと思うし、自分も何したらいいか考えていこうと思うのです。今回の舞台とは直接の関係はないおはなしが長くなりました。また、思ったことあれば別途書きます。

 で、風姿花伝に話をもどす。やはり、客席は40席に削減されていた。あいだ一席は使用しない設定。これは今の劇場では当然のこと。客席でアナウンスしていた方がどうこうではないけど、「本日は満席」という言葉に、ちょっとした違和感を覚える。もちろん、「用意した40席はすべて予約の客で埋まる予定である、という意味で言っているのだろうから、問題はない表現ではあるのだろうが、「満席」というかつての劇場の熱気やら興奮を知る身として、一抹の寂しさを覚えたのもまた確かかしら。

 どこか終末感の漂う世界、タイトルからするとキリスト教的世界観を想像させつつ、日本的な要素もあり、遠い先の未来を見すえたようでありつつも、現代的なところもあり、といろいろな要素をこめた、けっこう実験的な舞台であったと思う。演技スタイルも含めて。後になってパンフレットを読んでみて思ったけど、それが集団のスタイルとして貫くのはそれはそれでありだと思うし、普段アトリエで行っているようなパッケージを別の劇場に持ち込むならば、そこでは表現を違えてみる、という試みもあってもいいのかもと。だから好みの分かれるところはあるのかも知れないな、とは思った。まあ何にしても、生の劇場はやはり良い。今は受難の時代かもしれないけど、芝居がまたかからなくなるようなことにはならないといいな、と思いました。

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